Profile

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札幌市在住

石狩岳 今は昔

・戦後団塊世代の中では若い(?)方で、良くも悪くも団塊世代が産み出した社会の大きなうねりに載ってこの年まで生きてきました。

・生まれは北海道北見市で、学校卒業までこの地域の水と空気で育ちました。氷点下30℃のなか土ぼこりが舞い上がる厳しく寒い冬、その中を学ランで自転車通学、春の雪解け水が道端をチョロチョロと流れるのを見たときの感動、抜けるような青空、そんな気候風土の影響が自分の感性の中にも刻みこまれているように思います。

北見時代の活動

「林道ツアー」

石狩川源流地域の林道

津別峠頂上付近より雄阿寒岳

・父から借りたバイクで林道を走り回り、5万分の1の地図にルートを書き込んだり、見える山のピークと地図をつき合わせて山名を同定したりといったことを趣味にしていました。当時は今のように林道入り口のゲートも少なく、自己責任(?)で自由に入ることができました。

・カメラも借りて持っていきましたが、林道はほとんどが暗い雰囲気で絵葉書のような景色は少なく、写真を撮るという行為には不向きなところでした。しかし、それが、積極的に被写体を探して写真をものにするという動機付けとなり、何気なく見逃してきた景色の中に"あえて撮る"価値のある構図を見つけ出すというトレーニングになったと思います。

・当時、特に気に入っていたのは津別峠、藻琴山など屈斜路湖の外輪山の林道でした。春になって雪が解け、崩れた林道の修復が終わってグレーダーで地面が整地され、少し日数を経てなじんだ時期がバイク走行に最適でした。6月から7月にかけての時期でしょうか。快適なダート走行が楽しめる時期でした。

登山への目覚め

桂月岳より 影は父と私

・山には高校時代に兄からさそわれて無華山に登った時点から興味を持っていましたし、林道ツアーをやっていた時も仁頃山(829m)の山頂までバイクで登ったり(押し上げただけですが)、藻琴山(999.9m)や摩周岳にもバイクで挑戦したり(パンクして弟子屈まで約10キロバイクを押しました)と山に向かっていました。

・学生時代はワンゲル部に入り本格的な登山をやるつもりだったのですが、実際は仲間とジンギスカンやビールを担いで登り、山の上で宴会をすることが多かったように思います。ワンゲルとはそういうところだったのですね。しかし、これはこれで楽しい学生生活でした。

就 職

女満別駅の貨物列車ですが

・3月31日、家族に見送られ、SL の夜行列車「大雪1号」で札幌へと旅立ちました。明けて4月1日、札幌での入社式、電気技術者としてのサラリーマン生活が始まりました。

・学生時代の趣味力を発揮し、無線設備やコンピュータシステム端末など電気ものは何でもという自信に満ちた船出でした。札幌を経由して函館で2年弱、その後、東京に転勤してコンピュータシステム技術者(今でいう SE )の道に入ることになりました。

写真との出会い

YASHICA Lynx-14

・父もカメラ好きで「YASHICA Lynx」を大切にしており、学生時代はよく借りて持ち出していました。また兄の ASAHI PENTAX SP も借りて使っていました。家には写真を焼き付ける装置が一式そろっており、父や兄から教わって一通りの作業ができるようになりました。

・そんな環境もあり、林道中心に写真を撮り続けていましたが、就職して最初のボーナスでやっと自前のカメラを購入することができ、それからは撮影を目的として出かけるようになりました。

函館の撮影活動

小沼の散策路で これも今は昔

・初めての自分のカメラは OLYMPUS が M シリーズから OM シリーズに名称変更した直後で OM-1 とレンズは 28mm、50mm、135mm のいわば標準セットでした。

・その後、函館にいた2年ほどの期間に MAMIYA C330、TOPKON HORSEMAN980 を入手し、一気にブローニーの世界に飛び込むことになりました。

・撮影対象は大沼公園、恵山~椴法華村などの海岸、松前~奥尻島など道南地域を中心に休日をフルに活用して、これも兄から借用した HONDA Z で走り回りました。

東京の撮影活動

梓川と奥穂高岳

・東京に転勤し、国分寺に住むことになり、あこがれの日本アルプスへの距離がグンと近くなりました。

・このころは、どちらかというと撮影よりは登山の方がウェイトが高く、というよりは写真撮影を主体としてアルプスに通うというレベルには達しなかったため、OM-1 に買い足した OM-2 を加えて 35mm カメラを多く使っていました。

・北海道と異なり、メリハリのある山容は撮影対象に恵まれており、登山の途中に立ち止まって撮るような姿勢では素材の多様さ、奥深さに対する自分の内面的なスタンスが定まらず、結果としてろくな写真が取れなかったことを覚えています。自分のテーマを意識して粘り強く取り組むことが必要で、そのためには体力、装備、時間をもっとつぎ込まなければ到底なしえないということを実感しました。

黎明期のテーマ

「チミケップ湖」

・北見市の南、阿寒湖との中間あたりの山奥にあるひっそりとした湖がチミケップ湖です。ここをテーマにしばらく撮影活動を続けました。途中から就職で函館に住んだり、また東京に転勤しましたが、北見に里帰りした折りには必ず、このチミケップ湖を訪れました。

・ここでは主に HORSEMAN 980 を使い、69 判が多かったように思います。三脚をたて、じっくりと構図を考えた後は自分のイメージに合った雲と、湖面のススキのゆらぎと...1日に数カットしか撮れないことが多かったと思います。心豊かな充実した時間を持つことができました。

阿 寒

パンケトー湖

・阿寒は北見から近かったこともあり、訪れる機会も撮影の機会も多い地域でした。北見からだと入り口は美幌峠、釧北峠、津別峠、少し遠回りになりますが藻琴山も入り口でした。撮影のポイントはフィルムの量からすると津別峠とオンネトーが多かったように思います。

・北見市内のはずれにある「緑ヶ丘公園(当時は"緑ヶ丘霊園"でした)」の最上部からは阿寒の山並みを見ることができます。加えて遠くには知床のスカイラインを確認することもできます。近くに高い山がないこともあり、時々訪れては阿寒の山々のその意外なほどの近さを感じたものです。

知 床

知床林道(昭和40年ころ)

・北見から知床まではバイクで約3時間半、日本地図的にみれば近い距離なのですが、実感としてはかなりの遠距離でした。北見は道路事情が良くない時代にあっては、内陸の地域と考えられていました。海岸の網走まで出て、小清水原生花園をほぼ中間点とする距離はやはり遠かったのです。

・それでも撮影に行く機会は多くあり、ダートの林道を走ってカムイワッカ川まで行ったり、羅臼岳に登山したりといった活動の記録が色あせたフィルムに残っています。重い装備にあえぎながら登山し、途中銀冷水というところで日が暮れてしまい、三角テントを張って泊まった記憶があります。また雪渓上部にチシマギキョウを見つけ、その美しさに感動したことも記憶しています。

武華山

層雲峡側から望む無華山(右)

・北見市内から遠く石北峠の方向を望むとその右横に2つの山が見えます。この山のスカイラインを眺めながら暮らしていたといえるほど身近な景色でした。石北峠のすぐ北に武華山(1,759m)、その隣に武利岳(1,876m)と、オホーツク沿岸地方では最高峰に位置する山群です。

・始めて登った山が武華山でした。途中のライオン岩には高山植物が密生しており、中でもキバナシャクナゲの群落はみごとなまでの規模でした。

そしてこれから

近くの森林公園内の散策路

・札幌に居を構え、仕事の第1線を退いたものの、悠々自適の生活なんてのは夢のまた夢で、とりあえず働き続けています。今までとは異なり、ギヤを2段くらい落として余裕を持った気持ちで生活したいと思っているのですが、なかなか理想は遠いものです。

・過去のそして現在も私の写真のメインテーマは人間の生活圏から離れた大自然ですが、かつて人々が暮らしていた痕跡や林道など、自然と人間の接点の領域もこれからのテーマかなと思っています。

※ 2010年・平成22年・61才

撮ることの再認識

厳冬期の常呂川

・年をとると、やむをえないこととはいえ記憶力や体力が衰えるだけではなく視力も衰えます。それによって活動領域も狭まっていきます。そんなとき創造的な能力を発揮できる写真は魅力ある趣味だと思います。

・重い大型カメラや三脚を担いで山に登るといったスタイルではなく、車を使って移動する撮影スタイルやスナップカメラを使った作品など、工夫する余地はたくさんあります。

※ 2010年・平成22年・61才

残りの時間

野幌森林公園

・2002年(平成14年)に病を患い、山から遠ざかっていましたが、幸いにも2014年(平成26年)になって登山を再開できるまでに体力が回復しました。以降、山に登れる楽しさが優先しています。

・しかし、70歳を目前にして、体力を要する登山ができる時間も残り少なくなりました。今のうちに登っておかなくちゃという視点で登る山を選んでいます。

・技術の進歩により山道具も写真機材も軽量化が進んでいます。ギリギリの選択の中でできるだけ充実した写真機材を持参できるよう工夫をしていきたいと思っています。

※ 2018年・平成30年・69才

70 歳

山梨県忍野村にて

・2019年1月、ついに70歳というラインを越えてしまいました。そこを見据えて昨年はそろそろ登山の卒業をと区切りになる山行を計画していたものの、天候不順と一過性全健忘という体調不安要素のため、結局、満足な成果を上げることはできませんでした。もしかしたらこのまま終わってしまうのかもしれないという不安を抱えたまま冬になってしまいました。

・しかし最後にどうしても登っておきたい山がいくつかあります。そのため春に向けて登山(撮影行)計画を何度も見直していますが、いままでと異なり体力の衰えという要素が大きくなっています。どうしても安全サイドに考えてしまうのですが、その流れで計画を後退させていくと最後には山に行けなくなってしまいます。ここに至って自分の現在の実力を客観的に評価することの難しさを感じています。まさに山を見たければ先ず自分を見よということかなと思います。

※ 2019年1月・平成31年・70才

72 歳

チミケップ湖

・6度目の年男ということになった。もう次回はないだろう(無いかもしれない)。

・昨夏、トムラウシ山の南沼で連泊し、新調なったヒサゴ沼避難小屋泊を加えて3泊の撮影行を計画した。欲張ってフルサイズ一式を背負い込み、やっと手に入れたバルトロ65を背負って出かけた。山頂での日没と日の出、そして高山植物を思う存分に撮ろうと贅沢な計画だった。しかし、総重量20Kgを少し越える重さには耐えられず、途中で撤退となってしまった。南沼まで届かなかった。なんということだ!、無謀な計画だったということか。いや、破綻することなく引き返してきたのだから想定内から外れてはいない。しかし、そんな言い訳に何の意味があるのか。

・だがしかし、この現実は無視できない。残雪期にしか行けないビューポイントにも行きたいが、日の出、日没はあきらめるべきか、いやそもそもそんなところに行くこと自体がもはや無謀なのか。

・左は半世紀も前から撮り続けているチミケップ湖に昨秋訪れたときの写真。山に登らなくてもこんな風景が撮れるんだよと言ってくれているような気がする。春にむけて意欲的な計画を立てながらも、ふと、そろそろ区切りをつける時期なのかなという考えが脳裏をよぎる。

※ 2021年1月・令和3年・72才

2022年

緑のシャワー

・2022年になってしまった。時は待ってくれない。

・コロナ禍で地方に撮影に行く機会も減り、ホームページに載せるような収穫もなかったということもあって、ここのところホームページの更新が停滞している。

・しかし、もう止めたということでは決してない。似たような他の作業が増えたことも原因で、実際パソコンの前に座る時間はこの1年、1日平均で5時間にはなると思う。オーバーワークになっている自覚もあり、何とか仕事を整理して身軽になりたいところなのだが、なかなか事情が許さない。今年はその整理をどう進めるか...春までには方向を定めたいと思っている。

※ 2022年1月2日

2023年1月
(もう歳は...)

摩周湖夜明け前

・昨年の正月に、"今年はデスクワークの整理を" と思ったものの、自分の都合を押し通せない事情もあって、そのままになってしまった。しかし、もう後がないとの実感もあり、今年は無理をしてでも自分の環境を変えることにした。

・昨年2月には救急車のお世話になって入院し、退院後も体調不良が続き、年末になってその原因がガン治療の際の放射線の後遺症であることが分かった。どうやら対症療法しかないようで、登山どころではなくなってしまった。

・さてどうするか、コロナ禍はまだまだ収まる気配もないし、かといって家に閉じこもると坂道を転げ落ちるだけ...どこまで動けるか分からないが、とにかく外に出る機会を増やしたい。今年は遠出できる最後の年になるような気がする...

・現実を素直に受け入れ、この状況で何をやりたいか、どこまでできるかを考えていきたい。

※ 2023年1月31日